慣習と、作法。

 バイリンガルの仕事。って一言で言うと、とってもインターナショナル?な仕事?に聞こえるけれど、もちろん、日本語と英語を使うという意味合いにおいてはそうなんだけれども、従事している場所が「日本」という国で、そこでの「バイリンガル事業」となると、なかなかいろんな日本特有?の慣習とか、いわゆる上下関係とか、国際的な会なのに、日本の作法を要求されたりとか、、それなりに気を使います。

 で、本当にちゃんと気を使っていればいいんですが(笑)、どうしても、私は、ばりばり日本人なんですけれど、作法とか慣習とかに関しては西欧寄りが自然に出てしまう。
 だから、仕事を紹介されるいくつかのプロダクションとか厳しいところには結構、注意をされます。

 先日も、バイリンガルパーティーの打ち合わせがあって、その後、その仕事を紹介してくれたイベントプロダクションの会社の方から、 「打ち合わせ中に、足を組んでいた、とクライアント(会場側のスタッフ)さんから連絡が入りましたので、、、できるだけ、というか、足は組まないでお願いします」  と注意されてしまいました。  どうやら、さらに話を聞くと「足を組む」=「横柄な感じに見える」という印象が根付いている結果の注意なのだろうと思われます。

 うーん。うーん。うーーーーん。。。
 
 私にとってのクライアントであるお客さんたちからのクレームではなく、会場スタッフからのクレーム、というところが、なんとも。。。

 実際、10年近いバイリンガルの仕事で、クライアントさんから直接クレームが入ったことは1度もありません。代わりに、会場側から入る「??」と思ってしまうような注意はたくさんあります。爆。
 
 バイリンガル司会者として現場に入る場合、こうしたことが多々あります。
 私は、主催する会場(レストランだったり、展示場だったり、結婚式会場だったり。。。)と、クライアント(パーティーを行う企業、個人の方々)の間に位置していることが多いので、クライアントさんとはとってもフランクに(たいてい、海外国籍の人たちと打ち合わせしたり、日本人でも海外在住長かったりとか、なので)打ち合わせが進むことが多いのですが、どうしても、会場側との打ち合わせになると、
 
 「内容的なことは、我々バイリンガルのパーティーはあまりよくわからない」
 「しかし、会場側としてのお客様に対する態度は司会者さんにも理解頂きたい」
 「お客様との打ち合わせのときに足を組んだり、名前で呼んだり(苗字でxxx様と呼べっってことね)、カジュアルな服装で打ち合わせに来たりはご遠慮願いたい」

 ということになるわけです。
 (私は、私のキャラクターの特性上(笑)、結構誰とでもフレンドリーに接してしまう傾向があるので、それが、会場側にとっては、好ましく見えない結果を招くことが多いわけです)。
 フレンドリー=敬意を表していない間側、ではもちろんないんですが。。。
 現に、会場側とのお付き合いよりも、クライアントさんとのお付き合いのほうが、その後、濃厚だったりすることが、私の場合は特に多い。。だから、クライアントさんにとっては多分、何ら、私が注意されているクレームは気になっていない事のハズなんだよねぇ〜

 もちろん、全ての会場がそうではありません。
 概して、「不要なプライド」を持っている会場にその傾向が強いのです。だからなおさら、たちが悪い(笑)。

 国際的に名前を知られている、あそこのホテルとか、、、(笑)、 国際的に名前を知られているシェフが経営するあそこのレストランとか、、、(笑)。

 こういう場面に直面するたびに、私は、「日本人にとっての”国際的”という概念はどういうことなんだろう?」と考えさせられます。

 日本は日本の素晴らしい文化や伝統や慣習があり、海外のそれぞれの国もまた然り。どちらがいい、どちらが優れている、とかそういうのではありません。それぞれの持つ、または地域の持つ、文化慣習、伝統はとても素晴らしいものでOne&Onlyなのです。
 
 しかし、なんていうか、「悪しき慣習」というか。悪しき、、とまでは言うと語弊があるけど、、、、
 「もはや不要な慣習」 っていう感じかなぁ〜。
 それを頑なに、取り入れて、他者にもそれらを押し付けようとする、、そういう慣習は、どうなんだろう?と感じます。

 
 恐ろしくテレビを見ない私が、唯一毎日15分間視聴しているテレビがNHKの朝の連続テレビ小説なのですが(笑)、今、放映中の連ドラも、岩手県の老舗旅館を舞台に、この「もはや不要な慣習」について話が展開されている真っ最中です。
 
 これからの時代は、もっともっと、お互いの文化や伝統、継承してゆくべき慣習を守りながら、尊敬しながら、しかし、もはや不要の慣習ならわしは、どんどん淘汰されていって欲しいと思うし、そこに本当の意味でお互いを敬う、お互いのナショナリティーに敬意を表して交流をする、ということが、「心」で可能になってくるんじゃないのかな?なんて思います。   そして毎回思うのは、「国際化社会、ニッポン」と言われているが、それは技術や経済発展の結果そう言われているだけであって、人々の意識や「他を受け入れる心」の部分は置き去りになっている部分が多いのではないだろうか。と痛感します。

 そのことを批判するつもりとかは毛頭ありませんが、大手を振って、「国際化社会、ニッポン」と言えるまでには、我々日本人の意識がもっともっと柔軟に対応できるようになってゆく必要があるのではないだろうか、ということも感じます。

 上と下の位置関係やグループ分けとかをはっきりさせることを、私は自分のライフスタイルの中でほとんどしません。必要ないと思っているから。

 子供と接するときには、親(上)と子(下)ではなく、子供の目線で子供と接する。
 アーティストと接するときには、製造元と仕入れ元としてではなく、アーティストの側に立って、彼ら彼女の姿勢と共感できるように自分をシフトしてゆく。
 お客様と接するときには、売る立場よりも、買う立場になってLove MAUIの商品をシェアしたいと日々思っています。
 
 常にニュートラルでいれば、敬意を表した関係は作れるし、そのほうがお互いとってもオープンマインドになれるハズなんです。上下とか左右?(笑)、とかそういう区別をしなくても。
 その心の鎖が解き放たれると、いろんなものを素直に受け入れる器が出来上がってくると思います。
 
 自分の価値観に会わないものが身近に来たときに、「えっ〜なにそれっ!ありあえない〜!」と思うことが少なくなります。  「それって常識じゃん?」と思うことが、別な人にとっては、「非常識」に思うことだって世の中にはたくさんあります。
 前述の「足を組む作法」ひとつとってもそうですね。私にとっては何ら無関心のその作法は、会場にとっては、「極めて非常識な作法」になるわけです。  その1個1個の違いに一喜一憂していては、心は疲れてしまいますもの。さら〜っと受け流せる器を自分の中で育むことに、それぞれがフォーカスしてゆけば、どんなことも「良し」とできるものです。それでいいと思うのです。
 

 私はそう思って、日々、生活しています。ニュートラルで。

Love and Aloha

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