Words of the day
本日の単語
・・・・・Aloha 'aina・・・・・
Love of Land
・・・・・大地を愛する・・・・・・
★ 毎日1単語「ハワイ語、英語、日本語」をお届けします★
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雑学アロハの時間で〜す★
前回の予告で、「次回は、Hawaiian Featherについて」と書いた記憶がありますが、取り消し、笑。今回は、Aunty Pat Baconについて書きます。
前降りですが。最近、私は、「ハワイの歴史」特に、Anciant Hawai'i(古代ハワイ)の歴史についてかなり興味をそそられております。米国になる前のハワイ、さらにその前のハワイ、についてですね。
お店にちょこちょこと立ち寄ってくれて、ウクレレ聴かせてくれたり、また、ハワイ語レッスンやフラやウクレレレッスンなども開いている、ご近所チャーチのPomaikai クルーガー君に、先日、「オススメの、ハワイの史書を教えて〜」と言ったら、出ること出ること、笑。次から次へと。早速、現在、アマゾン米国で注文して到着を待っているところです。(余談ですけど、アマゾンUSAで新書で15ドル程度のものが、日本のアマゾン中古本で20000円とか値段ついてて?!びっくりでした〜)。。
さて、その本の到着を待ちながら、ちょこちょことネット上で立ち読み程度に古代ハワイに関するサイトなどを流し読みしていて、ハワイの歴史、言葉、文化、フラ、、など、、、伝統的な部分について、現代の私たちの知る「英語」にそれら昔の情報を翻訳してくれている人物に遭遇。
彼女のような存在がなければ、ハワイ語で書かれた本を理解できないまま・・・・英語に翻訳されたからこそ、こうして書き言葉などがなかった時代のハワイのことも、今、知ることができる。。。そう考えたらすごいなぁ〜とただただ感嘆。尊敬。
ということで、今日は、Aunty Pat Baconさんについてご紹介。
(アウンティー・パット・ベーコン)。
彼女のフルネームをご紹介しましょう。
Patience Namakauahoaokawenaulaokalaniikiikikalaninui Wiggin Bacon
(ペイシェンス・ナカマウアホアオカヴェナウラオカァニイキイキカラニヌイ・ウィッギン・ベーコン)
長っ。笑。
彼女のことを知っていても、この本名を知っている日本人は少ないかもしれませんね。
アウンティー・パットベーコンは、名誉あるクムフラ(フラの大先生)として、また、ハワイ語のエキスパートとしてその名を広く知られています。
彼女のお母さんがそうであったように。。
アウンティー・パットのお母さんは、Mary Kawena Pukui(メアリー・カヴェナ・プクイ)。名誉あるハワイアンとしてハワイの文化を知る上で必ず目にする人物です。
*Mary Kawena Pukuiについては、また、機会を作ってご紹介したいと思っていますが、ハワイの歴史、ハワイ語、ハワイ語辞書、ハワイの歌、詩など数多くの本を出版しています(現に、私がAmazon USAから取寄せている本の中にも彼女の執筆本が含まれています)。
そんな偉大な母を持つ アウンティー・パットもまたハワイの文化、歴史を語る上で大きく貢献してきました。
フラにおいては、彼女自身、卓越したフラダンサーであることから、彼女は、今日(こんにち)、クムフラと呼ばれている多くのフラの先生たちに個人的にフラの始動、ハワイの伝統、ハワイ語、彼女の持つ知識の全てを伝授、分かち合ってきたと言われています。
しかも驚くべきことに、彼女は一度も自身のフラ教室(HALAU)を持ったことがありません。個人として、多くの人々にHULAを伝統、文化として継承してきているのです。
彼女の類まれなるその豊富な知識と経験は、数々のHULAイベント競技の審査員としても頻繁に招待され続けています。
メリーモナークフェスティバル、プリンスロットフラフェスティバル、クイーンリリウオカラニ・ケイキフラフェスティバルなどはごく一部に過ぎません。
50年以上にわたり、彼女は、ハワイの伝統的なMele(歌)、Oli(祈り)、そしてHULA(踊り)を守り続けた人物として尊敬されています。
ハワイ語から英語への翻訳(通訳)者としても数多くの、OliやMele,神話、口述による歴史伝授を手がけてきました。
40年以上にわたり、ビショップミュージアム(Bishop Museum)でハワイ語の歴史書の翻訳にも従事してきました。
彼女のことを語りつくすには、本当に本が何冊も書けてしまうであろう情報量と人間としての奥深さがあります。
ざざ〜っと、こうして、ハワイ文化における彼女の功績を書き連ねただけでも、ハワイ文化において彼女(また、彼女のお母さんの存在)なしでは語れない、、ということが分かります。
彼女に興味のある方は、ネット上でもたくさん彼女に関する情報を読むことができます。が、なかなか日本語で書かれているものはまだ多くはないようです。
これから、ちょこちょこと、私のほうでも、彼女に関する情報収集をして、この雑学アロハでお母さんのMary Kawena Pukuiと共に紹介してゆけたらな、、と思っています。
ハワイの歴史や文化に興味のある方にオススメなサイトは、
HANA HOU オンライン。
(雑誌HANA HOUのオンライン版です。バックナンバーなどを見ることができます。
Love MAUIで取引をしているアーティストの何人かもかつて、このHANA HOUで紹介されたりしたこともありました〜)
(Aunty Pat Bacon写真提供:Bishop Museum Online)
数年ぶりでしょうか。雑学ALOHAの記事を書くの・・笑。
密かに楽しみにされている方もいらしたのに、すっかりご無沙汰してしまっておりました。
久しぶりの雑学ALOHAは、ブレッドフルーツ(パンの木)「ULU」について。
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自然界の神である「KU」がハワイに来て、ハワイの女性と結婚し、長年一緒に暮らし、家族を沢山授かりました。
しかし、彼は自分が「神」であることを結婚したハワイの女性(妻)には黙っていました。
他の人と何ら変わりなく、地元で働き、普通の生活をしていたのです。
飢饉の時代が到来して、人々に十分な食糧が手に入らない時代になったとき、KUの妻と子供たちも同じように飢餓に耐えていました。
KUはとても辛い気持ちでした。
KUはたまりかねて、妻と子供にこう言いました。
「みんなに十分な食糧を手にいれてくるよ、しかし、長い長い旅になるであろう、そして、おそらくみんなの元には帰ってくることはできないだろう」と。
最初は、妻は、彼のそんな決断を聞き入れませんでした。
しかし、子供が飢えで泣き叫ぶ声を毎日聞き、遂に、KUが食糧を得るために二度と戻らない旅へと出発することに同意しました。
「庭に行くよ」KUはそう言うと、彼らの裏庭に行きました。
そこで彼は、家族に、
「私はこれから地球の中に消えてゆくよ、私が消えたこの場所からは食糧となる植物が生えてくるからね」。
そう言うと、逆立ちをして、頭を土につけました。
すると頭のほうから、KUは土の中に吸い込まれてゆくように、消えてゆきます。
そして遂には、足の先までが土の中に消えていきました。
妻は、彼が消えたスポットに毎日、涙と共に水を遣りました。
するとそこから、小さな芽が出てきました。
小さな芽が出てきたあとは、一気に成長し、芽はどんどん大きくなり、木になり、芽がでて数日後には、KUが約束したとおり、家族はたくさんの食糧を手にすることができたのです。
それはパンの木でした。
妻と子供たちは、たっぷりとKUが身代わりとなり与えてくれたパンの木を食べました。
しかし、妻と子供たち以外の人々が、実を採ろうとすると、木は、あっという間に土の中にもぐって消えてしまいます。
時が経ち、パンの木は、すっかり成長し、妻と子供たちは、株を分けて、近所の人々や友人たちに、苗をプレゼントしました。
そして、やっと全ての人に、KUのギフトが与えられたのです。
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これは1995年にハワイのビショプミュウジウムプレスに掲載されたものです。
作者は、Laura C.S.Green さんで、この物語は代々祖先から語り継がれてきた内容であったことを話しています。
ハワイに来る前の起源はおそらく、タヒチまたはサモアに同じような神話の話が存在していたのであろう、とも言われています。
そして、ハワイにこの神話が来たときに、植物がパンの木になったのであろう、というのが一般的のようです。
ハワイで見られるパンの木は通常1種類のみで、学術名をArtocarpus Incisaと言います。
その他の種類は、ハワイよりも東側の島々でよく見られるそうです。
パンの木は、種から育つのではなく、吸枝によって繁殖する植物であるため、ハワイに移民をしてきたその他の島の人々によって持ち込まれたものである、と言う説が有力なのだそう。
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今では、キルトのパターンや、多くのハワイアン雑貨、アパレル商品などには必ずと言っていいほど登場するパンの木も、実は、家族の愛、飢えを凌ぐための最終決断として生まれた植物、、っていうところが、何とも哀愁漂うストーリーです。
パンの木のデザインを見るたびに、「私たちに十分な食糧を与えてくださりありがとう!」って思わず言いたくなりますね。言いましょう。みなさん、笑。
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次回の雑学ALOHAの題目は、
ハワイアントラディショナル、 FEATHER について。
ハワイ国だった時代、王様たちが身にまとっていた、ガウンのような洋服。
これらは、外側は全て鳥の羽。
今ではとっても貴重な存在となったFeather Work について。を予定しています。

ハワイ語を含め、毎回メルマガの中で少しずつハワイに関することを綴って行きたいと思います。
第3回目は、ハワイアンスピリットについて
George Helm(ジョージ・ヘルム)という名前を聞いたこと、ありますか。
今日は、この世を去るまでずっと自分の中に通じているハワイアンスピリットを信じ続け生き抜いた彼の一生について少しだけ触れてみたいと思います。
彼の生き方を知ることで、少しでもReal Hawaiian Spiritを感じてみましょう。
ハワイ諸島は全部で8島から構成されています。その中のひとつであり、イチバン小さい島が、Kaho'olawe (カホオラヴェ)島です。
マウイ島サウスエリアからうっすらと見えるこの島は、1994年に返還されるまでの実に53年間、米国海軍の爆撃練習場として利用され、所有も海軍のものとなっていました。
しかし、カホオラヴェ島の自然は実にすばらしく、ハワイアン文化を後世に継承してゆくべき数々の遺跡(岩に描かれたペトログラフ)も多く見つかっています。
カホオラヴェ島の自然保護は、イコール、ハワイアン文化の保護、生粋ハワイアン達の文化継承につながるものである、と強く感じた一人のハワイアンが、島を海軍から返還するための運動に参加しました。
それが、1975年のこと。そしてその男こそ、モロカイ島出身のジョージ・ヘルム氏でした。
カホオラヴェ島返還運動の合言葉は、「Aloha 'aina」(Love for the Land)。島を愛すること。これは、単に自分が住んでいる島、自分たちのルーツである島を愛する、という表面的な意味だけではなく、もっと深い意味がこめられています。
人間に愛を注いでくれる島、その島に愛を注ぐこと。すべてのものはひとつであり、お互いに尊敬すべき存在である、というハワイアンスピリットに大きく根付いた意味を持っています。
1950年3月23日、George Helmは、7人兄弟の5番目としてモロカイ島で産声をあげました。幼い頃からGeorgeの父は、ウクレレをGeorgeに与え、後に彼の天性とも言えるべきハワイアン音楽のルーツが始まります。
一度は、ハワイアン航空のセールス担当として世界中を飛び回りホノルルで活躍していたGeorgeですが、彼の中に潜むハワイアンの血が、このまま単なるサラリーマンとして生活してゆくことを拒み、結局、ビジネスマンとして成功を収めていたにも関わらず、2年ちょっとで役職を退き、幼い頃から常に自分の身の回りにあったウクレレ片手にミュージシャンとして、新たな人生を歩き始めます。
それはお金のため、ということではなく、彼にとってハワイアン音楽は、「彼にとって一番大切なこと」であるからに過ぎなかったのです。「ハワイアン音楽はボクの血そのものなんだ」と後に彼は語っています。
そしてミュージシャンとしてのGeorgeは、その存在が必然であるかのように、瞬く間に才能を認められ、数多くのホテルやラウンジで歌い始めたのでした。
そんな中、1975年、モロカイ島で現在のカホオラヴェ島返還運動グループの前身である、「Hui Alaloa」グループメンバーにGeorgeは出会います。
彼らのカホオラヴェ島返還に対する運動をそこで始めて知ったGeorgeは、何の躊躇もなく、また何の迷いもなく、自分のその運動に加わり、その後、グループの中心人物となり地元のハワイアン、政府との間に入り交渉を進めたり、カホオラヴェ島の生態や自然調査に率先的に関わってゆきます。
そこでも、彼の天性のハワイアン音楽が人々とのつながりをさらに深めていったことは言うまでもありません。音楽を通じて、ハワイアン達に返還運動の主旨を理解してもらったり、音楽を通じて、地元の人々の交流を深めた上で、自分達の運動に批判的な人々を説得してきたのです。
その結果、1976年には、カホオラヴェ島返還に対する運動はハワイの人々の間でも注目のニュースとなり、政府もやっとGeorgeたちの話を聞き入れざるを得ない状況となってきました。
しかしまだ、カホオラヴェ島に無断で上陸することは許される状態ではなく、George達はマウイ島サウスエリアからいつも自分達、友人たちの所有するボートで夜中、海軍警備の目を盗んで上陸していました。
1977年3月、2人のグループメンバーがカホオラヴェ島に取り残されてしまう事件がありました。その2人を連れ戻しにゆくために、Georgeと友人のキモ・ミッチェル(Kimo Mitchell)、ビリー・ミッチェル(Billy Mitchellの3人は、カホオラヴェ島に向かいます。
しかし、そこで海軍警備隊に見つかり、3人は襲撃されそうになり、ボートから海に飛び込みます。その後、ビリーは自力でマウイ島に引き返しますが、モロキニ島でキモとジョージを見かけたのを最後に、2人は消息を絶ちます。
その後、グループの人々、警察によってくまなく2人の捜索が行われましたが、GeorgeとKimoがその後発見されることはなかったのです。
George Helm、27歳の春、あと2週間足らずで28歳の誕生日を迎えるところでした。
その後、カホオラヴェ島返還グループは消滅することなく、George Helmの意思を引き継ぎ、返還運動を続け、ついに1994年、島はハワイ州に返還されました。
2004年に日本にも来日を果たし、その天使のような歌声で人々を魅了し、数々の賞も受賞したRaiatea Helm(ライアティア・ヘルム)。彼女は、George Helmの姪っ子にあたります。
まさにハワイアン音楽のルーツ、血をひいた一族とも言えるでしょう。
2005年から、島へのアクセスが可能になっていますが、一般の観光アクセスが可能になるまでには至っていません。
今も、カホオラヴェ島返還運動から、今度は、島を保護する運動へその姿を変えてAloha 'ainaは勢力的に活動を続けています。
自分たちの生まれ育った国、ルーツとなる島を大切に想う気持ち。自然すべてが自分達に恩恵を与えてくれる、だから、大切にする。
その気持ちは、人種関係なく持ち続ける必要のある心(スピリット)だと思います。
Aloha 'aina。
この気持ちを一人ひとりが大切に持ち続けていくこと。それが、この混沌とした世界をより良くしてゆくために、必要なことのひとつじゃないかな、とも思います。
※参考文献:「Ho'i Ho'i HOU(A Tribute to Geroge Helm&Kimo Mitchell)」edited by Rodney Morales
☆カホオラヴェ島「Aloha 'aina」団体ホームページ http://www.kahoolawe.org/
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☆オススメハワイアンリンク☆
●ポストカード・ハワイ(英語サイト)
素敵なハワイの写真でグリーティングカードが送れます。
http://www.postcards-hawaii.com/
●ハワイアンヒストリカルソサエティー(英語サイト)
ハワイの歴史を非常にまじめに歴史学的に説明しているサイト。勉強になります。
http://www.hawaiianhistory.org/index.html
●ハワイの神話(日本語サイト)
ハワイの代表的な神話を日本語に簡約してくれているサイトです。
http://www.legendaryhawaii.com/
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編集後記 from Ryoko
ハワイの神話や歴史についてイロイロな文献を読んだり、知ることは本当にとても興味深いです。そこには、間違いなく、「愛」があります。
だから、今、多くの人たちが注目し、また、多くの人たちに親しまれているのだとも思います。
雑学ALOHAで紹介したGeorge Helm氏ですが、消息を絶ったと言われている最後の目撃情報が、マウイ島のモロキニ島近海なのですが、この場所で彼が「母なる海に帰っていったんだ」と仲の良い知人友人家族たちは考えている、と後日談として紹介されていました。
マウイ島とモロキニ島、カホオラヴェ島が掲載されている地図を見てみてください。
そして、横長のマウイ島を右に90度回転して眺めてみてください。島の西エリア部分が人の顔の形になり、くびれた、カフルイエリア〜キヘイエリアが首、そして、そこから広がる南マケナエリアからハナエリアとハレアカラ火山エリア、特に突き出たマウイサウスマケナエリアは、そうお母さんのおっぱいのように突き出ています。
マウイ島は、「母の島」でもあるのです。
そして、おっぱいの延長線上に位置するカホオラヴェ島は、赤ちゃんです。
その中間にある、モロキニ島。これが、赤ちゃんとお母さんをつなぐヘソの緒、として伝えられています。ハワイアン神話、伝説にもそうした記述があります。
そう、つまり、Georgeは、お母さんと赤ちゃんをつなぐ命綱、モロキニ島で消息を絶ったのです。だから、母なる源へ帰っていったんだ、と。
神秘的でありながら、実に理論的でもあります。単なる神話や逸話ではない、「何か」がそこに、マウイ島にはある。そう思わずにはいられません。
☆雑学アロハへのご感想、取り上げて欲しい話題、メルマガへのご要望、感想、リクエストなどお寄せ下さい。
Love MAUIメールマガジン[2005/02/24]号より。
第1回目は、基本中の基本ですけど、ALOHAについて。
Aloha!のジェスチャーって親指と小指をたててするものですが、コレ、ローカルではSHAKA!とも呼ばれていたりします。
このALOHAジェスチャーの起源、皆さんご存知ですか?
はっきりとした確固たる定説はないらしいのですが、一番有力とされている説をご紹介。
「その昔、Kahukuシュガーミルで働いていたHamana Kaliliという人が、仕事中にさとうきびを裁断する機械のローラーに手をはさんでしまい、右手の人差し指から薬指の3本をなくしてしまう、という事故に遭いました。
その後、Kaliliは、現場で仕事をすることが困難になったため、工場のセキュリティガードとして働くことになりました。工場からサンセットビーチ、Kaaawaまで当時はシュガーケーントレインが走っていました。
そこで、彼(Kalili)は、電車に乗って来た子供たちを見送る係りになりました。子供たちは、町から町へ電車を乗り降りして、踏み切りのない時代、道を渡るのには注意が必要でした。
そこで、お互いに合図を交わしていたそうです。そして、そのときにKaliliが示したジェスチャーが、いわゆる現在のShakaサイン、であったと言われています。
彼がこのジェスチャーをしたときには、線路を渡っていいよ、という合図だったそうなのです。」これが、言い伝えでは、1940年代の頃のことだった、と言われています。
また、Kaliliは地元のアクティビティにも数多く参加していて、当時のKaliliの写真にはたくさんの彼のShakaサインをしながら手を挙げている写真が残されているそうです。
その後、当時、多くのイベントやアクティビティに参加していたKaliliのこのサインを真似て、今のShakaサインが広まっていった・・と言われている、というのが通説になっているそう。
そして、このサインが、なぜ現代、Shakaと呼ばれるようになったかは、不明な部分が多いらしい。Shakaサインは、Kaliliから始まり、広まった・・・と言われている説が濃厚らしいのだけれど、当時このサインをSHAKAとは呼んでいなかったし、元々SHAKAはハワイ語ではありません。
有名な説としては、1999年スターブルテイン紙のインタビューで、Bill Pacheco氏が、このサインをしながら、「Shaka Brother」といったことが始まりではないか・・とも言われているそうです。彼は、「Shaka brother」を、「Shake it up, buddy。How's it going? ALOHA, Have a good day」全てを含んだ意味として発した、、とも言われています。」
といった内容で書かれていました。ふ〜ん。面白いなあぁ。
もちろん他にも色んな説はあるのかもしれないし、本当のところは分かりません。
以上の内容は、↓こちらから引用しました。原文お読みになりたい方は
こちらをCheck it out
※次回は、「ALOHAの意味」についてです。これもすでにご存知の方多いかもしれませんね。でもとっても大切なことだから、もう一度皆さんと一緒にALOHAについて考えることも含めて綴りたいと思います。
---☆ Love MAUI メールマガジン☆ Happy Halloween ! [2004.10.16 号]より----+
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