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2008年4月22日 (火)

マルチ言語化~体験談 その2

 初めての渡米。ホームステイ体験から帰国した高校1年生の夏休み。
 
 私は、もう今すぐにでも、またLAに飛んで行きたい!!衝動にかられました。
 せっかく、すこしだけホストファミリーと意思疎通ができるようになってきて、これから本番じゃん!っていうところだったのに・・・・という感じがすごくあったからです。そして何より、最初のホームステイでなかなか仲良しになれなかった、同年代の高校生の友達たちともっともっと遊びたかったのです。

 親に、「お兄ちゃんと同じように、LAの学校に通いたい・・・」って言ってみるも、
 「女の子は危険だから、まだダメ!」と即効却下。
 夏休みのホームステイとかで兄の監視下の元ならば、いいよ。というところまでの許可しか降りなかったのです。

 そして、高校2年生の夏。再び、LAへ。
 当時、兄がLAの大学に通っていたので、今度は、兄のアパートに転がり込んで。

 そんな感じで、高校生活が過ぎていって、最初は、言葉よりも、私が惹かれたのは、
 LAの陽気でポップで、大らかであっけらかんとした文化と、大胆な発想とか。。そういう部分でした。(ですから、私の親は、そういう私の部分をすでに見抜いて、”危険”と察知していたのでしょうね・・・)。

 言葉は相変わらずたいして分からないけれども、そういうなんだか、保守的な日本の文化とはかけ離れた西洋文化にすっごく刺激を受けて、

「私も、彼女たちみたく、高校生なのにピアスあけたり、マニキュアガンガンつけたり、パーマかけて頭クリクリにしたい!!」
 
 ただ、それだけでした。厳しい女子高に通っていて規則に縛られた生活を送っていた私にとって、そこはまさに「天国」だったからです。

 そして、LAの高校に転校することを却下された私は、日本の私立の女子高に通いながら、日本でそういう体験はできないものか?と模索をするのです。
 そして行き着いたのが、六本木。
 外国人が集まる場所です。

 そこから私の不良履歴が本格的に始動します。

 朝、学生カバンと一緒に、私服と化粧品を持参して登校します。
 放課後、家には帰らず、駅のトイレとかで、持参した私服に着替えて、化粧して、
 ロッカーに学生カバンと制服をしまいこんで、
 六本木、渋谷に繰り出すのです。
 そして年齢詐称。
 「短大生」と自ら名乗り、当時で言うところのディスコで一晩中、遊ぶのです。
 もちろん無断外泊です。

 携帯電話とかありませんから。
 公衆電話からいちいち、親に「ディスコで徹夜するから」なんてこと、言うわけありません。
 翌日、怒られるのを覚悟で、遊ぶのです。

 そこで知り合った外国籍の人たちと交際を始めたりすることになります。

 そして、結局、友人が、軍事関係者とお付き合いをするようになり、
 しかし彼女は、英語が良く分かっていないので、私が一緒に同行することが多くなり、
 私も数珠球的?に、軍事関係者とお付き合いをするようになり、
 軍事基地内で無断外泊するようになり、
 最終的に、親が軍事基地に乗り込んで、我々、友人もろとも、親に強制的に捕獲され、、、
 軍事基地のゲートで大騒動、、、というようなこともありました。

 この軍事関係者との交際で、私はいわゆる、「スラング」。俗語。
 悪い言葉。
 を習得することになるのです。

 とにかく、彼らは、口が悪かったです。(=軍事関係者がすべて口が悪い、、というわけではありません。誤解のないように。私たちが知り合った彼らが、そうであった、、というだけです)。

 このときに、初めて、英語でスラングでケンカをする、、ということも経験しました。
 そして、本当に、親には迷惑かけたけど、反面、この時期、
 私の英語力は、信じられないくらいメキメキと上達したのです

 日本では、外国人と交際をして、夏休みには、LAの兄の家に転がり込んで。
 高校3年生のときには、英語の成績はオール5でした。

 日本語英語しか喋らない英語の先生に、
 「あんたの日本語英語じゃ、LAでは通じないわよ、フンっ」と、
 英語で反発して、英語の先生を半泣きにさせ、
 (ひどすぎる。。。。なんて傲慢で生意気な高校生だったんでしょう。。。山中先生、この場を借りて深く陳謝いたします。ごめんなさい。)

 あげくの果てに、
 授業を聞かずに、当時は上智大学の比較文学部を目指していたので、
 英語の授業中、堂々とTOFELという英語の勉強をしていたりして、
 本当に、「悪」でした。ひどかったです。

 よくも悪くも、ロスアンジェルス、西洋文化、、という刺激が私に影響を及ぼし、
 英語力はすごい勢いで身についていったものの、
 当時、日本文化では受け入れられにくい、「個性」を発揮しすぎる、、、西洋文化も、
 この時期、一緒に、身につけたのです。
 別なことばでいいかえれば、「感化された」「アメリカナイズされた」というかんじです。
 良くも悪くも。です。


 上智大学の比較文学部にはいるためのTOFELというテストの点数が、どうしてもクリアできず、最終的に浪人はダメ、と親に言われたので、
 当時の高校の担任の先生が、とってもいい人で、
 極悪な生活態度だった私の、良い面を本当に見てくれて、
 最悪の生活態度だったにもかかわらず、英語の成績だけはトップを独走していたので、
 桜美林大学に推薦状を書いてくれたのです。

 そして、推薦で桜美林大学に入学することになりました。

 高校生のときに、結局気づいてみたら、散々、悪い、崩れた英語を習得してしまった私にとって、
 桜美林大学での英語の授業は、なんともアカデミックな洗練されたもので、
 大学の同級生も、親が外交官、、とか、10年間海外で暮らしていた、、とか、
 帰国子女が多く、
 私の極悪英語 高校生活とはかけ離れた、英語の世界を大学時代に経験することになります。

 桜美林大学は、門がなく、校風がリベラルで、
 授業のすべてが英語、、というクラスがたくさんあって、
 雰囲気が、海外の大学にとても似ていました。

 同級生との会話の中にも、普通に英語と日本語が混ざり合って、
 中文化の学生たちと話しているときには、そこに中国語も混ざり合って、
 インターナショナルでした。フランス語、英語、日本語、中国語とかが学食で飛び交っていました。

 そして帰国子女のみんなの英語は、とっても洗練されていて、
 これがまた、
 私に大きな刺激となります。
 そして、同じ英語でも、フランス語訛りの英語、ブリティッシュイングリッシュ、アイリッシュ訛りの英語、、ケベック英語、、とか、サウザーンアクセント訛り、NY英語、ボストン英語、アフリカン英語、中国英語、インド英語、、と言った具合に、日本の方言と同じように、英語圏の地域によっていろいろな英語がある、ということも、大学生のときに、気づきがありました。
 
 大学時代の4年間で、私は、「キレイな英語」を話すことを学びました。

 英語の文法も、大学時代に、たくさん勉強しました。
 修士論文は、50ページ。すべて英語で書きました。
 Gay Literature をトピックにしたものでした。ゲイ文学です。

 周囲の友達は、「国際化社会における日本の役割」・・・とか、「シェークスピアと日本文化」とか、、「チュニジア比較文化考察」とか、、、そんなとってもアカデミック。学術的な修士論文トピックを選んでいる中、私は、ゼミの先生に、
 「私は、正直、文学部だけど、シェークスピアの言っていることはさっぱり理解できんし、フィッツジェラルドも、たいして面白いと思わないし、マークトウェインは面白いと思うけど、論文に書きたいと思うほどでもないし・・・どうすればいい?」
 と相談したら、

 ゼミの米国人の教授は、
 「だったら、学部に関係なく好きなことを書けばいい。この間、一緒に新宿2丁目のバーに行っただろう?そこで出会ったGayたちとずいぶん話をしていたじゃないか?Gay Literatureという分野もあるんだよ。ポルノグラフィーもなかなか面白いし。Ryokoに合っているかもしれないなー」
 とアドバイスをしてくれたのです。

 そして、夏休みを利用して、ニューヨークに行き、Gayのメッカである、Christopher Streetという場所を練り歩き、ゲイの人々を観察し、文学上におけるゲイの存在などとの関連性などを調べ、、、、

 結局、修士論文で、A(優秀)をもらいました。

 教授にめぐまれていたなぁ、と思います。Thanx to u, Travis.

 高校3年間、大学4年間でこうして、私は、語学だけではなく、日本以外の文化や習慣なども学びました。

 To Be Continued・・・・・つづく。 

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